オブジェクト指向再考(イントロダクション)

 前回出した記事(オブジェクト指向おじさん?)のあいださんのコメントで最も興味深いものが、オブジェクト指向しかしらないプログラマが増えてきている、というものである。実は私はそれまで『なんでこうオブジェクト指向信者が途絶えないのか?』と疑問に思っていたのだが冷静に考えれば解るとおり『良いも悪いもなくソレしか知らない。』(あいださんのコメント)世代が増えて来ているようだ。幸いにして私の周り半径3メールではそんな奴はいないので私の視野が狭くなっていたらしい。そういう意味では前回の記事をアップして良かったと思う。
また、元々、オブジェクト指向に関する記事を書こうかと思って対象読者を従来の手続き型言語に精通している人としようかと思っていたのだが方針を若干変更してメインターゲットを『オブジェクト指向しか知らない世代』にして、今後増えるであろう、オブジェクト指向症候群に掛かった患者への処方箋を今後数回に分けて書くことにする。
 オブジェクト指向という言葉を聞くとみなさんはどんなイメージをもたれるでしょうか?『オブジェクト指向とは何か?』を素人に説明するとプログラミングパラダイムの事でつまりプログラムを開発する上での一つの考え方や一つの模範ということになる。実はこれ以上でもこれ以下でもないのですが、もしあなたが以下のどれか2つに当てはまるのならオブジェクト指向症候群に掛かっているかもしれないので、この連載は役に立つだろう。

 1.関数という言葉に嫌悪感を感じる。または時代遅れの遺物だと感じる。
 2.よく他のプログラマ・言語に対して『オブジェクト指向ではない』と言っている。
 3.staticを使っている人をみるとプログラマとして終わっていると感じる。
 4.過去にオブジェクト指向を批判した記事を読んだが書いている奴がオブジェクト指向を分かっていないだけだった。
 5.C++が最高、他の言語はダメと思う人。
 6.Javaが最高、他の言語はダメと思う人。
 7.C#が最高、他の言語はダメと思う人。
 8.と言いつつも、自分自身がオブジェクト指向というのが何か実は良く解っていない。

さて、こういうと『お前が解っていないだけだ』と批判を受けそうなので少し私自身について説明します。私は14歳の時からプログラミングを初めて今年で32年目になります。仕事で使った言語は、覚えた順からBasic,Assembly,C,C++,VB,SQL,Java,Perl,PHP,MDX,Ruby,VB.NETです。ちなみにAssemblyは複数のCPUのインストラクションセットを覚えたし、実際に20年前まで仕事で使っていました。メジャーな言語ではC#が抜けているがやったことがないだけです。オブジェクト指向についていうとこれまた20年以上の経験になり、いわゆる手続き型言語からオブジェクト指向言語へコンバートした人になります。批判される前に私のオブジェクト指向の経歴をいうと、十数年前にJavaの記事を書いたこともあるし、ADPというプログラミング言語のプロジェクトを持っているがこれはC++で書かれています。またADPもオブジェクト指向をサポートしてます。その関係で一般のプログラマよりもオブジェクト指向についてよく考えていると自負している。

さて、まず最初の処方箋を言うと、オブジェクト指向は過大評価されている点を挙げましょう。実際は全くそんなことはないのにも関わらず、『オブジェクト指向はプログラマが進む最終地点』と考えている人が多いでしょう。歴史的にみてオブジェクト指向が持てはやされたことがありそれに無意識に乗っかっている人々がいたということもあるが、実はオブジェクト指向自体になにかプログラマを引き付ける魅力があります。ある人はそれを『究極の一手』と表現し、またある人は『彼女(彼氏?)』と言ったり、私自身も『オブジェクト指向はプログラマが進む最終地点』と考えていた時があった。さてここまでで『私がオブジェクト指向を理解していない』と思ったあなたは充分オブジェクト指向病に冒されていますので、何かコメントをしよう考えたのなら少し我慢して以下を読んで頂いて反論を頂きたい。

誰でも知っていることだがオブジェクト指向というのはもともと分類学の技法をプログラミングに取り入れて複雑なプログラムに対応しようというパラダイムの一種で、クラスとか継承とか多態性という言葉は分類学から借りてきたものであるといえる。ここで冷静になって考えてみれば分かることですがそもそも世の中の全ての事柄を分類学でカバーできるでしょうか?世の中の学問を見渡せば分かるとおり分類学では全てはカバーできないことは理解できるでしょう。つまり継承とか多態性というのは一部の領域にのみカバーをすることが保障されているということであり、ここで代表例を挙げると、GUIシステムにはオブジェクト指向がうまく適合できたようで、他の例を挙げると私の経験上になるがプログラミング言語の処理系もうまくマッチすると思う(残念ながら全く問題がない訳ではないが)。その他、経験上言えることは、一連の法則性を持った多様なものを処理するにはオブジェクト指向が向いていると考えられる。ほかの例を挙げると、実はオブジェクト指向ってしっくりこないんです!の記事にある、とりすけ さんのコメントで税金計算処理の適用事例があります。
以上、確かに適用できる事例はありますが、逆にいうと応用例はかなり限定されています。よく自称オブジェクト指向専門家に具体的な話を聞くと『息を吸うようにインタフェースを使っている』という分かったような分からないような返しをされますが、具体的な話ができないということはそもそも彼(彼女)も分かっていないということになるでしょう。本当に息を吸うようにインタフェースを使っているのなら具体例が多数出てくるでしょう。

また、オブジェクト指向の本質はメッセージだ!という人もいらっしゃいます。なるほどメッセージをやり取りすることにより複雑なシステムを簡単に構築しようということらしいです。では以下の2つのコードはどちらが理解しやすいでしょうか?

z = 3 * x * y + 4 * x + 6 * y + 2;

z = 3.multiply(x).multiply(y).add(4.multiply(x)).add(6.multiply(x)).add(2);

『下のコードの方が良い』という人はぜひリハビリを行ってください。少なくとも人前では上の方がよいと言いましょう。ちなみに当たり前ですが、これを持ってオブジェクト指向がダメだと言いたい訳ではなく、言いたいことは、『メッセージというある種のプログラムを抽象化する道具も乱用すると却って悪戯にプログラムを複雑にする』ということです。
次の回(おそらく来週?)このメッセージについて考察したいと思います。
2016-03-14 | コメント:21件



オブジェクト指向おじさん?

 私の盟友(?)ことみながわさんの日記が更新されたので覗いてみた。2016年1月29日の記事によると、とあるWEBの記事「staticおじさん」はなぜ自信満々なのかというのが目につく。
この手の記事に対しての警鐘は以前にも行ったのだが、未だにこういう煽り記事が出てくるということは出版業界はよっぽど不景気なのか?と邪推したくなる。
アメリカに留学して習った単語にobjectiveというのがあり日本語訳は客観的で、反対語はsubjective(主観的)になります。論文を書くときは客観的であれといわれます。といっても何が主観で何が客観か分からないでしょう。本当かウソか分かりませんがアメリカではこのobjectiveということを子供の頃から教わるらしいです。もっとも子供の頃にそんなことを習ったことのない日本人は文章を読むときに、何が主観的か客観的かが判断がつかないこともあるでしょう。ちなみに何の説明もなしに『普通はこうだ』とか、他にも記事を読んで『俺の意見を代弁していてくれる』と思ったら、その記事は主観的である可能性があります(主観的の定義に従えば自明ですよね)。

さて、元の記事にあるこの部分
 Javaでメソッドを呼び出すときにはクラスからインスタンスを生成してインスタンスのメソッドを呼び出すのが普通です。一方、staticメソッドはインスタンスを生成しなくてもクラスから直接呼び出せます。このため、オブジェクト指向プログラミングを理解していない古いタイプのプログラマは、Javaでもstaticメソッドを多用します。これを揶揄して「staticおじさん」と呼ぶのです。
これは、

インスタンスメソッドを使う→普通
staticメソッドを多用する→プログラマがオブジェクト指向を理解していない可能性あり

と読み取れます。思わず普通ってなんやねん?と突っ込みたくなるのですが、
そろそろこのインスタンスメソッドを使うのが普通という誤謬を解きたいのですが、staticメソッドは場合によっては推奨されています。
期待するコードを期待するように書こうという本から引用させていただくと
クラスのメンバへのアクセスを制限するもう一つの方法は、メソッドを出来るだけstatic にすることだ
このReadable codeという本は私は英語版を購入したのですがそこでも同様のことが書かれています。


また、英語が読める人は、static methodで検索をかければいろいろ議論を見ることができます。たとえば以下のQAたち
https://www.quora.com/Why-is-using-statics-Static-method-block-variable-in-Java-programming-bad-programming http://programmers.stackexchange.com/questions/98083/cant-i-just-use-all-static-methods
ここでは、インスタンスメソッドを使うのが普通とか訳のわからん理由ではなくきちんと事実に則って議論がされています。
事実(fact)に則って議論するということは客観的(objective)な議論ができているということになるでしょう。

ざっくりとまとめますと、staticメソッドを使うと

欠点:継承ができなくなる。ポリモーフィズムも使えなくなる。
利点:メンバー変数へのアクセスを制限できる。パフォーマンスが上がる。

ということです。他のものは自明として、利点のところで『パフォーマンスが上がる』かは検証の必要があるのですが、ポリモーフィズムはオーバヘッドを発生させるのでそれを使わなければパフォーマンスがあがる可能性はあります。
また欠点の中で、『ややこしくなる』という意見もあったのですが、これは主観的な意見でしょう。たとえばstaticメソッドを使いなれた人はむしろすっきりとすると考るかもしれません。

さて、継承もポリモーフィズムも使わないということであれば、staticメソッドを使ってもよいということになるのですが、この反論として、『オブジェクト指向でなくなる』というのがあります。もはや手段と目的が混同されているとしか言いようがない意見でいやはや疲れます。
まぁ一介の無名なエンジニアが何をいっても仕方がないのでもっと説得力のある例を出しましょう。
επιστημη さんという著名なライターさんがいらっしゃいますが、彼は思い切りstatic メソッドを使っておられます。
http://blogs.wankuma.com/episteme/archive/2012/12/28/310396.aspx のコードのrefereeクラスがそれに当たります。refereeクラスには3つのメソッドがありますが、すべてstaticメソッドになっています。
つまり、事実としてstaticメソッドは使うときは使うのです。ちなみにもちろんですが、επιστημη さんがオブジェクト指向を理解していないということはないでしょう。

という訳で、
 ただ、現実に年齢を重ねると、どうしても守りに入りがちなのは事実です。「自分はstaticおじさんなのではないか」という問いは、常に忘れてはならないのでしょう。
というヒマがあったら自身が思わぬ誤謬をしていないか記事の検証を行うことを勧めます。

2/4追記
 コメント欄で文意を汲み取っていないという指摘を受けましたが、まぁ充分文意を汲み取って反論をしているのですがどうも分かりづらいかもしれないので、補足します。

 ただ、現実に年齢を重ねると、どうしても守りに入りがちなのは事実です。「自分はstaticおじさんなのではないか」という問いは、常に忘れてはならないのでしょう。

こういう教示的な文章は一見ごもっとなことのように受け取れますが、冷静に読めば分かりますとおり、ど素人でも同様のアドバイスができるでしょう(例を出すとサッカーや野球観戦をしているおっさんが野次っているさまと同じと言えば納得できるでしょうか?)。
社会人としては自分を律したり反省することは歳をとろうが若かろうが、技術者であろうがなかろうが、常に必要でいちいちアマチュアに指摘されることではないです。

そうはいっても100歩譲って、プログラミングに携わるプロが
『(引用先の記事に書かれてるニュアンスでの)自分はstaticおじさんではないか?』
と自問するということはどういうことでしょうか?
つまり、『staticは使えるのか?使えないのか?』という正に私がここで行っている議論をすることです。
そしてまさに

インスタンスメソッドを使う→普通
staticメソッドを多用する→プログラマがオブジェクト指向を理解していない可能性あり

こういう意見が20年前はともかく今となっては偏見に基づく誤謬でしかないということを認識することが重要だと言いたいわけです。プロなら気づきましょうということと、素人なら知ったかぶりをするのはやめましょう、という話です。
2016-01-31 | コメント:61件



ゴーンがやってるからお前もやれの迷

プロジェクトが一段落して時間にゆとりが出てきましたので。ADPの開発に戻りたい面もあるが残念ながらそれほどヒマではない。しかし、このままだらだらするのも惜しい気がする。かと言って、英語ばかりやるのもそろそろ飽きてきた。
とまぁ何をしようかと悩んでいたら、例の極言暴論に新しい記事が出てた。どうやら週1でアップしているらしい、ということでしばらく極言暴論をウオッチすることにする。

 新しい記事を読みましたが、メディアというのはつくづくいい加減ということを実感した。例えばこの記事を真に受けてシステム部の人がマルチベンダーを止めて失敗しても筆者は責任を取らないだろう。それどころか別の記事のように批判されるだけである。とまぁ、1年半たっているとはいえ正反対の論調の記事をなんのフォローもなく掲載している。
これで『アホ』と煽られても、

わかったわかった。よかったね。

と言うしかない。そしてその記事に同調する人をみるとまったくもって嫌になる。

 この手の話は単純に論じることができないし、『ゴーンがやっているからお前もやれ』という小学生のような理論を振りかざされても全くもって困惑するばかりである。マルチベンダー・価格交渉等のキーワードを考えても実際に価格交渉の現場に遭遇した者としては一言でかたずけられないという思いがある。というわけで私は今までこういう話で一般論を語ってもあまりにもふわっとしすぎて参考にはならないと考えていました。
しかし、だからと言って外野の無責任な発言を放置し、それを真に受けた被害者が出るのも見るに忍びないのでコメントする次第です。
もちろんこの手の記事は、私の記事も含めて、解釈は読み手の自己責任になりますが、まったく検証のない煽り記事を鵜呑みにするよりも、反論にも目をとおして検討した方がより建設的でしょう。

 さてこの極言暴論ですが、ユーザ企業の担当者に槍玉に挙げているが、どうもユーザ企業の担当者を責めることが最近のトレンドになっているようです。
 もっとも、デフレスパイラス真っ只中で頑張っている経営者の方は、営業部門が必死で稼いでる中で、我関せずとばかりに安穏としているIT部門の担当者をみて『アホ』とか言いたくなるかもしれません。
だからと言って、 ベンダーロックインを怖がり、マルチベンダー体制を維持する愚 のような記事を真に受けて、まともに『ベンダーを絞って単金を下げさせろ!』と指示を出しても、良くてその指示をなかったことにされて、下手をすれば却って高くつくようになるおそれがある。その話を当の記事の本人が別の記事 窮余のフルアウトソーシングは禍根残す でしていました。
ロックインの恐ろしさはまさにこの禍根を残す記事にあるとおりです。

 IT関連のリストラで重要なことは人材の見極めかと思われます。IT関連の人材は個々の能力のばらつきが大きいことです。ある意味では営業マンと同じかもしれません。数字が取れる営業マンもいれば、給与泥棒になっている営業マンもいるでしょう。そして給与泥棒の営業マンの首を切れば、売上はそのままでコストを削減することができます。
IT関連の人材も同じようなことが言えます。黙々とシステムを作る人もいれば、一見いいことをいうが実は他人の足を引っ張ているという人もいます。そしてそういう人を切れば成果はそのままにコストを削減することができます。
もっともその人材の見極めが難しいから、ベンダー間で競争させたりする訳ですが、まぁ、私の半径3メートル以内の経験でもみなさん苦労しながらもなんとかやっているようです。
2015-01-17 | コメント:0件



優秀なエンジニア

 すっかり年もあけて今更ですが、あけましておめでとうございます。
本当なら、『今週の英語勉強(1/11)』をアップするところですが、一昨年から続いた仕事がやっとひと段落し、あとは残務作業のみとなったので、久方ぶりに味わった達成感が半端なく何もやる気が起こらないので、この3連休は呆けて過ごすことになりそうです。
という訳で某知人から『英語以外のネタも書け』と言われているので最近読んだ記事の感想でも。

解雇が容易になれば、IT部門とIT業界の問題は片付く

極言暴論ということなので一個人の意見と思えばいいのだが、あまりにも疑問が多い記事で、しかもこういう記事を読んで納得する人がいるようで、年明けそうそう、やはり日本は衰退にむかっているということを思い知らされた。

具体的な突っ込みはメカAGさんがソフト開発でやっておられていますのであまり同じことを書くのもなんなのですがコメントします。

この方ですが、以前にもIT部門が没落すればIT業界の大概の問題は片付くで、
あと数年でIT業界の問題があらかた解決してしまうのではないかと楽観している。なぜなら、IT業界に人月商売と多重下請け構造を生み出した“諸悪の根源”である発注元、つまりユーザー企業が大きく変わるからだ。
と主張されています。この記事の掲載が2014年8月なのでそこから数年なので、例えば2020年頃にどうなっているか確認してみたいです。

もっともこの方、舌の根も乾かない3か月後の記事、木村の主張「人月商売や多重下請けは滅びの道」、読者はどう考えるかでは、
結局のところ、「IT業界を変えよう」などと大上段に構えたところで、人月商売や多重下請け構造は変わらない。それよりも、個々のITベンダーや技術者が自分たちの仕事をより良きものにしようとして動いたほうが、はるかに生産的だ。そして、その結果としてIT業界を良い方向に変えるのではないだろうか。読者の意見を精読して、つくづくそう感じた。
前の記事では、『あと数年でIT業界の問題があらかた解決してしまうのではないかと楽観している』言っておきながら、『結局のところ、「IT業界を変えよう」などと大上段に構えたところで、人月商売や多重下請け構造は変わらない。』とまぁ、メディアの方というのはつくづくいい加減な仕事をするんだと思わざるを得ない。

ちょうど私はこの頃、ユーザ部門の方からプレッシャーを受けながら、日々のスケジュールを考え、自分のノルマを実行し、バグが出ればきちんと原因を究明し、使えないメンバーが居れば叱咤激励しながら仕事をしていたが、とりあえず

ITエンジニアがこんないい加減な仕事をすれば直ぐにユーザ部門の担当者からつるし上げを受ける

ということは声を大にしていいたい。

というかこんないい加減な外野に心配してもらうほとIT業界は落ちぶれていないと業界人として言っておこう。

とまぁだいぶ息巻いてしまいましたが、元の主張(解雇が容易になれば、IT部門とIT業界の問題は片付く)に対してですが、解雇が容易になれば、優秀なエンジニアであればあるほど、フリーランスとして働くか、働いたとしても雇い主が考えるようにうまくいかないでしょう。
なぜか、安定がないのなら正社員になるインセンティブが働かないからで、終身雇用の起源をみてもそうだと解る。
例えば、来年自分が首になると予測できれば、プロジェクトが完了する前でも、次のプロジェクトが見つかればとっとと転職するエンジニアも出てくるでしょう。そうなると自社でプロジェクトをマネージメントしリスクを抱え込むよりアウトソース(外注)した方がリスクが少ないことに気づく。あとはコストとリスクの問題になるが、今の日本企業はリスクが負担できなくなってきているので、結局、外注に落ち着くのではと思う。
その他、半径3メートルの例では、昔ベンチャー企業に勤めたとき、社長がエンジニアのコントロールができなくなり会社が回らなくなった経験がある。おもに私の上司にあたるエンジニアと社長がもめたのだが、私は早々にその会社を辞めたが、どちらが悪いか判断できない面もあるが、私はエンジニアというものはコントロールが難しいとその時つくづく思った。

最後に優秀なエンジニアついて一つコメントします。
 IT業界の場合、エンジニアが考える優秀なエンジニアと発注者側が考える優秀なエンジニアの間にギャップが存在することをよく見かけます。言葉を変えますと、エンジニアの自己評価と顧客の評価との間にギャップが往々にしてあります。エンジニアの方は『私は充分仕事をしている』と思っているかもしれないが、顧客にしてみれば『もっと仕事をしてほしい』と思っていたりします。
このギャップについてどちらが正しいのかは、一概に言えませんし、『どこまで働いたらOKか?』という基準がないのも事実です。実はこのことが顧客とエンジニアの間に摩擦を生んでいたりします。
 ちなみに私はこの問題に対してどのように解決しているかというと、他の人よりも仕事を多くこなすことで自分の優秀さをアピールします。つまり、Aさんなら3日かかる仕事を私なら1日で終わるというふうにしています。
 つまりエンジニアの間でも競争原理が働いており、顧客から見た順位を少しでも上げればよいということになる。ちなみに15年程前はそんな競争はあまり重要ではなかったかと思う。技術力というより政治力(営業力)の方が重要であったかと思う。ので『エンジニア間の競争』と言われてもピンと来ない人も多いかと思う。
2015-01-11 | コメント:0件



変な人

ここ1年ほど続いた炎上プロジェクトですが、奇跡的(?)にやっと落ち着き定常運転ができるようになったのですが、やることはまだまだたくさんあるので全くもってヒマがないので、更新もすっかりご無沙汰になったのですが、そのおかげで変な人の付きまとい行為も減り結果オーケーではある。

変な人というと総務省が、「独創的な人向け特別枠(仮称)(通称:変な人)」というのを募集するようです。

『「Disruptive Change」:世界的に予測のつかないICT分野において、破壊的な地球規模の価値創造を生み出すために、大いなる可能性がある奇想天外でアンビシャスなICT技術課題に挑戦する人を支援。閉塞感を打破し、異色多様性を拓く。』
とか
『*ゴールへの道筋が明確になる価値ある「失敗」を奨励』
ということで、来年あたりならヒマができるのでADPを引っ提げて応募しようかと考え、調べていたら色々思うことがあるので、コメントします。

そもそもなぜこのような政策を実行するのか?つまりこの政策の背景ですが、『イノベーション創出委員会』ということろがとりまとめを行っています。とりまとめの案が以下から読めます。
イノベーション創出委員会最終とりまとめ(案)に対する意見の募集

あとインタビュー記事が以下にあります。
「俺の言うことがわからん奴はバカ」という人が欲しい--総務省のイノベーション創出事業“変な人”

これらをみて思ったのは、やはり日本は衰退に向かっているんだということで、さらに残念なことに国家や大企業ではそれを克服できないんだなということです。私の経験から一言で言えば潰れかけの会社が色々足掻いているという印象がぬぐえないです。
もちろん、座して死を待つよりは遥かにましですし何事もチャレンジすることはいいのですが、例えば、上記の記事をみますと変な人の育成方法は、『いまのところ決まっていない。』とか、いやいや人任せにせずにそれぐらいは自分で決めましょう突っ込みが出てきて思わず心配してしまいます。

また、
『「なぜ“変な人”という表現ではダメなんだ。“独創的な人”より伝わりやすいじゃないか。これだからイノベーションが起きないんだよ」―こう指摘したのは元総務副大臣の○○○○という。』
については、言葉尻をとらえた本質的でない所で熱く議論をしているんだ税金を使って・・・と思わざるを得ない。まぁ成長が鈍化した会社の会議なんかで見る光景ではあるのですが・・・。
イノベーションとは常識を理解した人があえてそれを破ることから起こると考えているのだが、つまり温故知新ですね。スティーブ・ジョブズの例で言えば、Macintoshの開発逸話を読めば、彼が変な人だとは思わないはずで、卓越したプロデューサーというのが私の印象になります。まぁ私にはできないですね。

記事では変な人を探す理由として、イノベーションのジレンマをあげています。
イノベーションのジレンマとはWikipediaによると『巨大企業が新興企業の前に力を失う理由を説明した企業経営の理論』ということです。つまりイノベーションのジレンマとは今の日本の状況を説明するものではなく単に大企業が衰退する理論的な説明にしかすぎないです。まぁ日本の新陳代謝を促す為、世界で戦えない大企業に関しては潰れて頂いてもよいかと思うのでイノベーションのジレンマは歓迎ということになります。
ちなみに記事からはあたかも今の日本ではイノベーションが起こっていないという印象を受けますが、日本でイノベーションは私の半径3メートルでもみることができる。
ほんの5年前までは、ガラケーを使いながら『スマホってなに?』といっていた人たちが今ではスマホでガンガンゲームをやっている。スマホ歴自体は私の方が長い(7年以上)のだが、その適応力をみると個々人でみた場合、日本人のテクノロジーを扱うポテンシャルは全く衰えていないと実感する。スマホは確かに海外発のテクノロジーかもしれませんがその中に入っているアプリは日本で作成されいます。
『たかがスマホのゲーム』と思うかもしれないが、5年前と今で電車内の人のようすを比べますとまさにイノベーションが起こったといってもよいでしょう。

というわけで、政府や大企業が危機感を持っているのは解ったのですが、まぁ既得権益を享受している組織は、今の状況は芳しくないと考えているようですが、破壊的イノベーションはそういう既得権益者が破壊されるとこではないのか?という疑問が出てくるのですがどうだろうか?

ちなみに私の半径3メートル以内の話になりますが、個人に入るかどうかは別として優秀な人はそれなりにお金をもらって仕事をしており、300万では対したことができないのだが、相場というものを理解していないのでしょうか?もっとも例えばこの事業が自宅警備員のような方に対する支援なら全くもって理解できなくもないですが、それでも『金は出せないがお前ら頑張れ』という昔居た会社の上司が言っていたセリフが思い出されます。その返答としては、だったら君たちがその金でイノベーションを起こしなさい、ということで今年の応募は見送りますが、もっとも何事もチャレンジすることはよいことですので、ちょいちょい様子をみてみましょう。
2014-06-07 | コメント:0件
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