願望

地味に忙しくなり、英語のブログをスキップしましたが、極限暴論についてコメントを、

核を失った日本のIT産業は「馬糞の川流れ」、雲散霧消の予感

 残念(?)ながらこの記事には同意せざるをえない。なぜなら私はシリコンバレーにいってみたいから。本当に行けたら、ある意味馬糞のように流れていくことになる。
現在、英語を勉強しているわけですが、今年はとりあえず1月程アメリカで語学研修を行い同時に情報収集を行おうかと考えております。いずれにしても近い将来、そこでADPを披露できればと思う。
ということで、日本でも活動はしたことがあったが今では私は日本でどうこうとは考えなくなった。
2015-03-29 | コメント:0件



無能な働き者

今週も忙しくなり、ただ終わりが見えてきて周りがバタバタしたのでなんとも言えない感覚に見舞われるのだが、極限暴論がアップされていたのでコメントします。

「A社だからできる」と逃避に走るITサラリーマンの悲哀

日本人は勤勉な民族で、「真面目に働く」とか「やる気を見せろ」みたいな仕事に対する姿勢を重視する傾向がある。したがって、
「A社だからできる」
という後ろ向きな意見を聞くとその真意も探らないで「逃避に走るITサラリーマンの悲哀」と非難する。
こういう人には、ドイツの軍人 ハンス・フォン・ゼークトの座右の銘を授けよう。

有能な怠け者は司令官に、有能な働き者は参謀にせよ。
無能な怠け者は、連絡将校か下級兵士にすべし。
無能な働き者は、すぐに銃殺刑に処せ。

この座右の銘ですが、3つポイントがあるかと思う。
1つ目は、人材は使い方ということで、その人にあった仕事をさせようということ。さらに不要な人材というのもあるということ。
2つ目は、人材を見極めるには複数のファクターを使おうということ、ここでは、有能・無能および働き者・怠け者、という2つのファクターを考慮している。
3つ目は、有能なものは組織の上層部に配置するのがよいが、勤勉というだけでは組織にとって必要な人間かどうかわからないということ。日本人にとっては理解しがたいかもしれないが無能な働きものはかえって厄介ということのようだ。

私の半径50メールの例でいうとA氏という私と同年代ぐらいのエンジニアがいるのだが、彼は毎朝8:30に出勤し滅多に休まないしやる気も人一倍あり、何を頼んでも「はい!、はい!」と気持ち良く応対してくれるが、私は彼には仕事を頼まない。頼んだ仕事がきちんと仕上がったことがないからで、ミスが多くそのチェックの負担を考えると頼まない方が早く片付く。
まぁ、昔はこういう人でもやる気があるからと生き残れた。上司に「あいつは仕事ができない」と言おうもんなら「お前の人の使い方が悪いだけ」と返されたりした。
もっとも、今のようにリストラが当たり前になると、彼のような人もどうなるか判らない。

もっとも有能か無能か判断するというのは日本人にとっては難しいことかもしれない。例えば日本では成果主義が根付いていない。

真面目に働く=社会人として一人前

という意識が強く出ているので客観的な評価を受け入れることが労働者にできないようにも思える。A氏はまさにそのような人である。

また評価をすることが難しいといこともある。
例えば、「A社だからできる」と逃避に走るITサラリーマンの悲哀 (4/4)にある、

この人はシステム子会社の社長になる前に、本社のIT部門を立て直している。毎年、IT部門として取り組むべきことを精緻な実行計画にまとめて経営の承認を取り付けることで、計画実行のために必要となる人的リソースなどを社内外から集めた。こうした計画と実行により、課題山積みのIT部門を数年で経営に資する組織に変えることに成功したのだ。

という記事を読んで、まぁメディアの人はこの人を評価するのかもしれない。が、本来はこの文章からではなにも評価できないでしょう。具体的なことが何も書かれていないからで、ただ成功したとしか書いていない。少なくとも、課題山積みと言っている問題の一つか二つをどのように解決したのか説明してもらわないとこの人の成果かどうか判断できない。

その少し下の

結局のところ「問題なのは百も承知」も、「解決策を提示しろ」も、「A社だからできる」も、「それは理想論だ」も、「社長がバカだから」も全て言い訳か、開き直りの類である。まさに当事者意識の無い“サラリーマン根性”がなせるわざである。

も批判している人の具体的なバックグラウンドを知らないと言い訳とは断言できない。

このように象徴的な言葉を使われて読み手に冷静な判断ができないような文章というのはメディアにとって評価に値するのかどうか聞いてみたいものである。ちなみに私の半径3メールの経験でいうと、こういう裏付けのない提案書を書いても評価されないし提案も受け入られないでしょう。
2015-03-21 | コメント:0件



知る者は言わず言う者は知らず

今週は早朝&夜勤があったりして仕事が忙しくなったり風邪を引いたりと色々あり、人のコラムにコメントするヒマはないのですが、割と考えさせるテーマなのでコメントします。

皆が大嫌いなコンサルタント、それ以上に無責任な面々のたわ言

要約すると、コンサルタントに業務改革案やシステム計画案を作成してもらい経営会議も通ったが、実施段階でIT部門および利用部門からの反発をくらい、要件が肥大化しコストや期間がオーバーランし、プロジェクトが頓挫したという話である。
記事では、その要因の一つにIT部門が非協力的だった(コンサルタントを敵視する)ということが挙げられており、コンサルタントはいたって普通ということを強調している。
さて、このコラムを読んだ経営者の中に『そっかコンサルタントは罪を擦り付けられたんだな・・・』と納得する人がいれば、まんまとだまされたことになる。

『普通』の業務改革やそのシステム化計画では『ステークフォルダー分析』や『ステークフォルダーマネジメント計画』も合わせて行われる。どういうことかというと、業務改革を実施しようとすると利害関係者が反発することが予測されるので予めどのように対応するかその方針やコスト・期間も含めて計画案を作成するのである。
実際には明確に『ステークフォルダー分析』とかが行われなくても業務改革にあたって利用部門からキーマンを選び出して反発を抑え込むとかも良くやられているかと思われる。
これらのことはプロジェクトマネジメントの基本であり、それが出来ていないのならそのコンサルタントは素人だったというしかない。

という訳で、このコラムの社長さんはシステム開発の素人コンサルに騙されたというのが一番可能性が高いと思われる。

『システム開発の素人でも業務改革案は作れるだろう』と思われるかもしれないがそのような場合でもシステムが関わる部分は専門家に任せるはずでそれをしなかったコンサルはやはり失格だったと言わざるをえない。
素人が自身の無知を顧みずに『コンサルは口だけ』という意見に対して、
改めて言うが、これはコンサルタントがボンクラだからという話ではない。もし「うちの社長がバカなコンサルタントに騙されて」といった類の話が本当ならば、社長は間違いなくボンクラだ。その企業の株主は速やかに社長解任に動いたほうがよい。そうではなく、コンサルティングの結果が極めて正確に企業の課題や解決策を示していても、このような悲喜劇となるのだ。

 理由は簡単。その企業には“当事者”が誰もいないのだ。コンサルタントが大嫌いなIT部門は「あいつらは口だけ」とよく言うが、コンサルタントが“口だけ”なのは当たり前だ。野球のコーチが自らバッターボックスに立ったらおかしいだろう。だから、そんな悪口を言うIT部門は“選手”として、つまり実行の当事者としての自覚が全く無いわけだ。

と、ものの見事に論理をすり替えている。確かに野球のコーチは自分ではバットを振らないが、多くのコーチがかつてバッターボックスに立っており野球についてはプロであり、若手を指導する資格をもった人が行う。素人がコーチにはならないだろう。
ということで、素人なりにプロジェクトの失敗の分析をするのはよいが、きちんとプロに裏を取りましょうねとアドバイスをしつつ

知る者は言わず言う者は知らず

という言葉を送りましょう。


 さて、ここからが本題になりますが、中にはやはりきちんとしたコンサルの方もいらっしゃるし、IT部門の人にも知ったかぶりをするということもある。私自身も基本的にエンジニアとして仕事をしているが、たまにコンサルタント的な依頼を受けたりもするのであまり人ごとと一蹴するわけにもいかない。
今の日本の経済状況を鑑みると、プロジェクトが失敗した場合、社長の御無体で済ませられる訳もなく、次回に備える為に根本的な原因は何処にあるのか見極めたいと思われる方もいらっしゃるかと思う。
もちろん、このブログでその全貌を書ければよいが、そこまで私も出来たエンジニアではないが、簡単にコンサルタントとエンジニアの違いを述べ、このようなボタンの掛け違えのようなことが減ることを願う。

先ずエンジニアは『システムを実現する』に重点を置いている一方で、コンサルタントは『理想に向かっていく』ことに重点を置いているように見える。
これが一番効いてくるのは、無茶な要求をした時の反応で、エンジニアは『それは出来ません』と一蹴するのに対して、コンサルタントは『さすがにお目が高い』と受け入れるところにある。
こうなると経営者としてはエンジニアと話をするよりコンサルタントと話をしたくなるのも当然だか、勘違いしてはいけないのはコンサルタントも内心どう思っているか解らないところで、最終的にはエンジニアに全てを押し付ければよいと考えているところがあり、この点が『コンサルは口だけ』と言われる所以である。
『コンサルは口だけ』というのは割と有名な話で私の半径3メールの経験でも『コンサルタントに開発まで引き受けさせた』とか『プログラムが組めるコンサルタントを呼んだ』とかいうことがあった。つまり口だけではな済ませないようにしたり、口だけではないコンサルタントを選ぶようにするということが行われている。

一方で、あれこれと理由をつけて動かないエンジニアというのも存在するのは事実で、そういう場合に口の達者なコンサルタントをあてがうことも経験上ある。小さな仕事の場合はエンジニアのケツを叩くという意味でうまくいくこともある、が大きなプロジェクトの場合、破たんする可能性が極めて高くなる。

という訳で、IT部門の悪口を言って終わりではなくこの問題は結構難しかったりする。
2015-03-15 | コメント:1件



終身雇用は遠い昔の花火か?

流石に最近飽きてきた極言暴論ですが、考えさせれる出来事もあったので、コメントします。
さて、今回は、

人手不足と騒ぐITベンダー、もういい加減にしなさい!

で、2015年問題(プロジェクトが重なることによるIT人材不足とその後の反動による人材過剰)の話である。記事の一部を引用するが、

だがSIの場合、供給するものとは人なのである。そして不況になれば必然的に人は余り、その一部は確実に切り捨てられる。そう考えれば、浅薄な供給責任など振りかざせないはずだ。

と、エンジニアが切り捨てられることを問題視しているが、上記の主張と矛盾する記事を書いていることに気づいていないのだろうか?

社長から「君たちは要らない」と宣告されたIT部門の4年後

で紹介している会社はSIerでもなんでもないが不況により1600人規模の早期退職者を募集した。

この極言暴論はとにかくSIerやIT部門を貶めたいようで、それは一部のエンジニアからは共感を得るかもしれないがガス抜きにしかならなし、むしろ普通のエンジニアは記事の矛盾の方が気になってしまう。短期的には共感を持たれるかもしれないが矛盾を持ったいい加減な記事は最終的には信頼されないでしょう。

ここ15年を振り返れば、不況になればIT技術者に限らずあらゆる労働者が切り捨てられることは明白で、それまでは終身雇用により景気の良し悪しと人材の入出がリンクしていなかったが、今では景気が良くなれば人材不足になり人を募集し、景気が悪くなれば人材過剰になった人を切るというように景気と人材の入出がリンクするようになったということだ。

誤解されないように補足したいが、以前にも書いたように私は簡単に首を切る会社を良しとは思わない。
ただ、あまりにも簡単に会社を辞める海外のエンジニアをみていると、私自身が終身雇用の幻想に毒されていることを実感し、会社に自分の人生を預けるという考え方はこれからの時代にはそぐわないのではないかとは思う。例えば50歳になって首を切られたらまるで人生が終ったようになる人の話を聞くとある種の違和感を感じる。『経験を積んだはずの人間がたかが会社をリストラされたぐらいでおかしくなるのか?』と思わざるをえない。

残念ながら大手の会社でもリストラをする世の中で終身雇用というのは幻想だったと思う方がむしろ気が楽になるかと思う。そうすると首を切られないようにするにはITエンジニア自身が競争力をつけるしかない。

『もういい加減にしなさい!』と企業を攻めたところでなにも解決しないだろう。

一応日本も経済自由主義を掲げている。まずいラーメン屋が潰れてもだれも問題視しないだろう。そのラーメン屋の店主が労働者の権利とか言っても『一人前にラーメンを作れるようになってからものを言え』となるだろう。ITエンジニアにも同じことが言えるだろう。今は、一人前になっていなく自助努力もしないエンジニアが失業しても当然という時代になりつつあるかと思う。
『多重下請の中小IT企業のエンジニアは技術力があっても失業することもある』と反論を受けそうだが、もし自身がそういう立場だと思うのなら、景気が良い今は挽回するチャンスである。数は少なくても大手企業も中途採用を受け入れているので多重下請の階段を上ることができる。こういう形でいざというときのリスクに備えるのも手かと思う(もちろん自己責任で)。
もっとも不景気になると個人や企業の努力が及ばなくなる。うまいラーメン屋も潰れることになる(リーマンショック後、うちの近所の店もいくつか潰れた)し、私も契約終了の目にあったとこもある。今仕事ができているのも運が良かった面もある。

こういう時代に安心して暮らせる社会を考えるのは良いことだとは思うが、特定の組織に責任を押し付けても解決はできないでしょう。むしろ国民全体で考えたいところである。とまぁ暗い話になりました。
2015-03-07 | コメント:0件



人の蠅を追うより自分の頭の蠅を追え

最近、燃え尽き症候群真っ只中のそのなかでこのような記事を目にすると嫌になるのだが、まぁコメントしない訳には行かないのでコメントします。

身も心も枯れ果てたIT部門とITベンダーの技術者の末路

相変らずのものすごい極論暴言もとい極言暴論ですが、この記事に同調する人たちがいて、『あー日本も終わっていくのか・・・』と嘆いてしまいす。唯一救いなのはネットを検索すると、ちらほらきちんとした突っ込みを行っている人がいるというところです。

記事についての印象は『まぁー煽りだよな』ということでなぜこんな煽りをするのか? 発言小町の方がもっと面白い釣りを見れるぞ?とあれこれ調べたのですが、なるほどどうやら日経BPさんは本気で人の心配をしていられる状況ではないようです。
以下、売上高と従業員数の推移を見てみましょう。

売上高・従業員数の推移
売上高従業員数
2013386.9億円778人(年末時点)
2012383億円789人(年末時点)
2011387億円796人(年末時点)
2010404.8億円819人(年末時点)
2009428.05億円822人 (2010年4月現在)
2008527.58億円922人(2009年4月現在)
2007533.59億円950人(2008年7月現在)
2006552億円875人(2007年1月現在)
2005550億円(推定)937人(2005年12月1日現在)
インターネットアーカイブの会社概要から

まぁ『出版業界自体が斜陽産業だもんね』と納得するほどの右肩下がりで、思わず『説得力のないIT業界の批判をしているうちにリストラされるのではないか?』と心配になるが、まぁ同調するひともいるのでしばらくは安心か。

ちなみにIT業界の人に限らず個人がスキルアップを行うのはリストラ時代のビジネスパーソンとして当然のことで、具体的に何をするかは人それぞれだと思うが、『大手金融機関のCIO(最高情報責任者)は、役員室でドローンを飛行させた。』という話を聞いてヒマそうで羨ましいと思ったが「凄い」とは微塵も思わない。そんなことは部下に任せておけばいいのにと思う。

ちなみに記事では、

別に「ドローンだ!」「Google Glassだ!」と騒がないのが良くない、と言っているわけではない。そんなレベルの話ではない。例えば、「COBOLで十分」と公言する人が今でも大勢いる。もちろん塩漬け状態の基幹系システムでは「COBOLで十分」なのかもしれないが、技術者個人としてCOBOLだけをやっていてよいのかということなのである。

とあるが、日本ではCOBOLerという言葉がありCOBOLは時代遅れの技術の代名詞となっているが、Javaが出てきてそろそろ20年になるが、海外ではこういう記事が出てくる。

Banks will stick with COBOL because Java has performance issues, claims quality guru Bill Curtis
(タイトル訳:銀行はCOBOLにこだわり続けるだろうなぜならJavaにはパフォーマンスの問題があるから、とすばらしい指導者のBill Curtisは主張)

ページではCOBOLのプログラムがJavaに置き換わらない要因を2つ上げている。セキュリティーとパフォーマンスである。この主張をもって私はCOBOLがJavaより優れているとは言わないし、誤解されないように補足しておくと有名なstackoverflowというITエンジニア向けのQ&Aサイトでは、このような議論は適切でないとしている。Java and Cobol differences [closed]
ただ、仮にCOBOLが本当に時代遅れになったのなら、もうとうの昔に消えているはずである。それがなぜ消えないのかそろそろ冷静に考えた方がよい。
COBOLは2014年にバージョンアップがあった。またCOBOLと並んで批判されるメインフレームも最近見直されている。これらの主張を読めばわかるがCOBOLやメインフレームが必要とされる分野があるということでそれは新しいもので簡単には置き換えられないということになる。

COBOLを擁護する人を『枯れた果てた技術者』と揶揄する前に自身の主張に見落としはないか検証する必要がある。

というわけで、

古い技術というだけでよく調べもしないで劣っていると判断する人には温故知新という言葉を授けよう

といっておこう。
2015-02-26 | コメント:0件
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