無能な働き者

今週も忙しくなり、ただ終わりが見えてきて周りがバタバタしたのでなんとも言えない感覚に見舞われるのだが、極限暴論がアップされていたのでコメントします。

「A社だからできる」と逃避に走るITサラリーマンの悲哀

日本人は勤勉な民族で、「真面目に働く」とか「やる気を見せろ」みたいな仕事に対する姿勢を重視する傾向がある。したがって、
「A社だからできる」
という後ろ向きな意見を聞くとその真意も探らないで「逃避に走るITサラリーマンの悲哀」と非難する。
こういう人には、ドイツの軍人 ハンス・フォン・ゼークトの座右の銘を授けよう。

有能な怠け者は司令官に、有能な働き者は参謀にせよ。
無能な怠け者は、連絡将校か下級兵士にすべし。
無能な働き者は、すぐに銃殺刑に処せ。

この座右の銘ですが、3つポイントがあるかと思う。
1つ目は、人材は使い方ということで、その人にあった仕事をさせようということ。さらに不要な人材というのもあるということ。
2つ目は、人材を見極めるには複数のファクターを使おうということ、ここでは、有能・無能および働き者・怠け者、という2つのファクターを考慮している。
3つ目は、有能なものは組織の上層部に配置するのがよいが、勤勉というだけでは組織にとって必要な人間かどうかわからないということ。日本人にとっては理解しがたいかもしれないが無能な働きものはかえって厄介ということのようだ。

私の半径50メールの例でいうとA氏という私と同年代ぐらいのエンジニアがいるのだが、彼は毎朝8:30に出勤し滅多に休まないしやる気も人一倍あり、何を頼んでも「はい!、はい!」と気持ち良く応対してくれるが、私は彼には仕事を頼まない。頼んだ仕事がきちんと仕上がったことがないからで、ミスが多くそのチェックの負担を考えると頼まない方が早く片付く。
まぁ、昔はこういう人でもやる気があるからと生き残れた。上司に「あいつは仕事ができない」と言おうもんなら「お前の人の使い方が悪いだけ」と返されたりした。
もっとも、今のようにリストラが当たり前になると、彼のような人もどうなるか判らない。

もっとも有能か無能か判断するというのは日本人にとっては難しいことかもしれない。例えば日本では成果主義が根付いていない。

真面目に働く=社会人として一人前

という意識が強く出ているので客観的な評価を受け入れることが労働者にできないようにも思える。A氏はまさにそのような人である。

また評価をすることが難しいといこともある。
例えば、「A社だからできる」と逃避に走るITサラリーマンの悲哀 (4/4)にある、

この人はシステム子会社の社長になる前に、本社のIT部門を立て直している。毎年、IT部門として取り組むべきことを精緻な実行計画にまとめて経営の承認を取り付けることで、計画実行のために必要となる人的リソースなどを社内外から集めた。こうした計画と実行により、課題山積みのIT部門を数年で経営に資する組織に変えることに成功したのだ。

という記事を読んで、まぁメディアの人はこの人を評価するのかもしれない。が、本来はこの文章からではなにも評価できないでしょう。具体的なことが何も書かれていないからで、ただ成功したとしか書いていない。少なくとも、課題山積みと言っている問題の一つか二つをどのように解決したのか説明してもらわないとこの人の成果かどうか判断できない。

その少し下の

結局のところ「問題なのは百も承知」も、「解決策を提示しろ」も、「A社だからできる」も、「それは理想論だ」も、「社長がバカだから」も全て言い訳か、開き直りの類である。まさに当事者意識の無い“サラリーマン根性”がなせるわざである。

も批判している人の具体的なバックグラウンドを知らないと言い訳とは断言できない。

このように象徴的な言葉を使われて読み手に冷静な判断ができないような文章というのはメディアにとって評価に値するのかどうか聞いてみたいものである。ちなみに私の半径3メールの経験でいうと、こういう裏付けのない提案書を書いても評価されないし提案も受け入られないでしょう。
2015-03-21 | コメント:0件

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