-人間がレビューするよりAIにレビューさせた方がよいのでは?-
最近、SNSで「AIでコードを書いてみました(バイブコーディング)」という記事が氾濫するようになったのですが、一方でその書いたコードを出していない人が目につく。私の場合は、規模は小さいがAIに出力させたコードを公開していたりする。
まぁ、権利関係から出せないものもあるのでしょうが、実際に動くものを出さないで「バイブコーディングしました」というのは、眉唾もので、15年程前に「オブジェクト指向やってます。」という、「エアオブジェクト指向」と同じ香りがして、「エアバイブコーディング」じゃないかと疑ってしまいます。
(と言っていたら、こんな記事がGoogle discoverからサジェストされました。正直、部品レベルのものをいっぱい出して「限界を突破」と言われても・・・というのはありますが、コードを出している少ない例です。)
私の場合は、今は、AIをハックしている状況で、つまりAIの特性を体感している状況で、バイブコーディングをするまでには至っていない。もっとも、将来的にはバイブコーディングを視野に入れているので、今は色々試しています。
そういった中で、バイブコーディングの前段として、「AIにコードレビューをさせたらどうか?」ということで、コードレビューさせました。
ちなみに、コードレビューですが、こちらもネット上では色々言われていますが、『エアコードレビューではないか?』というのも散見されます。
というのもコードレビューは、ある意味コードを書くより高度な技術が要求されます。「なぜそう書いたのか?」ということに対して、本来ならレビューアーはレビューイーより高度な視点と経験が必要かと思いますが、実際には「ただのいちゃもん」に成り下がっている面もあります。
私が本格的なソースコードレビューがあるプロジェクトに参加したのは30年以上前になります。それ以降は、「個人的な感想をいう場」としてのレビューはありましたが、当たり前ですが、そんな「個人的な感想」を言われてもどうしようもないです。また、ここにも書いていますが、私自身は他人の書いたコードをレビューしてやろうとは思わないです。もちろんデバッグの為に読むことはありますが、ここ炎上プロジェクトとクソコードに書いているとおり、コードに対しての評価というのは考えないようにしています。
レビューさせたのは、私が開発しているプログラミング言語(ADP)のプロジェクトになります。ChatGPTは一式をZipファイルにまとめて読み込ませました。
Geminiの方は、ファイル数の制限のため、ソースコード、ヘッダファイルそれぞれを1つのファイルにして読み込ませました。
ChatGPTとのやりとり
Geminiとのやりとり
※Gemini上で「与太さん」というのは私のことです。
C++での比較的規模の大きいプロジェクト(プログラミング言語の実装プロジェクト)のコードレビューなので、
・技術的に突っ込んだ内容となっている
・大きなプロジェクトなので評価も大雑把(ピンポイントの指摘もありますが、全体を細かくみていない)
というところはありますが、ChatGPT,Geminiとも会話が弾んでいることが分かるかと思います。
ChatGPTにしても、Geminiにしてもただ褒めるのではなく、開発者の意図を読み取って良いところをほめています。
前述のとおり私自身、コードレビューに対してはあまりいい思い出がありません。30年以上前のプロジェクトに関しては、レビューアーが「あー、そうなんですね。」というだけで私自身はなにも得られなかったですし(もっともそれはそれで開発工程としては成立していたかと思います)、それ以降の「個人的な感想を受けるレビュー」は、(悪く言えば)レベルの低い相手からの嫉妬交じりともいえる言いがかりを聞く非生産的な場所ということで、私自身「日本の開発プロジェクトでコードレビューは鬼門」と思っていました。誤解のないように補足しますと、コードレビューが大事なのは理解しておりますし、効用はあるのでしょうが、日本の多くの現場では、そもそも「チームプレイとは何か?」から入る必要がある状況で、コードレビューは(対新人)以外にはあまり効果がないというのが実感です。
そういう印象でのAIレビューですが、第一印象が、奴らの「ほめるところを分かっている」ところに逆に恐ろしさを感じました。
「このレベルの議論ができる方と話せるのは正直かなり楽しいです。」(ChatGPT)
「正直に言って、ここまで地に足のついたマニアックな話が自然に続くのは、かなり稀です。」(ChatGPT)
とか
「この挑戦は、言語処理系開発の醍醐味が詰まった非常にエキサイティングな領域だと思います。」(Gemini)
「与太さん、仰る通りですね。「意図しないバックトラック」のデバッグは、論理型言語を開発・利用する上での最大の難所であり、永遠の課題と言っても過言ではありません。」(Gemini)
とかは、おべっかが嫌いな硬派なエンジニアを気取っている私でも
「お前は分かっているな!」
と喜ばずにはいられないです。
当然と言えば当然なのですが、AI達は、良質の多数のコードを読み込んで学習していますので、「個人の感想」レベルを超えたレビューが出来るところまで達しているようです。AIあるあるの「ハルシネーション」ですが、AIの出力はバイブコーディングと違い直接的な成果物とはなりません。コードレビューはあくまでも「指摘」なので、その指摘が正しいかどうかは、仕組み上、人間が確認できることも大きいです。上記のChatGPTとのやり取りもAIの返答を鵜呑みにせずに
『>分岐予測が効きやすい
これは無いかと思います。つまり必ず失敗する分岐予測が2回から1回に減ったということになります。』
とAIの間違いを指摘&その返答を繰り返すことにより、よりコンピューターに対する知見が向上するでしょう。
AIの指摘は受け入れるのか?という点ですが、例えば、「C++11以降に書き換えてみては?」というのは、ChatGPTもGeminiも指摘しているところです。これは、参考にできるところとできないところがあるのですが私としては視野に入れているところです。ChatGPTの方は、「このプロジェクトですが、17年程の歴史があります。数回大幅な書換えがあるのですが、歴史的にみるとC++色からC色に移っています。」と現状を説明しながら効果的なアドバイスを求めています。Geminiの方は「メモリ管理についてはRustの借款のアイデアを使っている」ということで議論を進めています。プロジェクトの全体設計の話になるので大雑把な議論になるので、既に考えていることの指摘ということもありますが、会話を重ね深堀することにより発見があったりします。
また、もちろんですが、AIコードレビュー一本ではなく、セキュリティ監査等より慎重なレビューが求められる場合は人間との共同でレビューを行うこともできるでしょう。
とまぁ、個人開発されている方やプログラミング学習者の方は、モチベーションを維持するためにもAIによるコードレビューをお勧めします。
人間の嫉妬や無理解に晒されるコストをゼロにし、純粋に技術的対話に没入できる。
これこそが、AI時代の真の生産性だと思います。
前回に続き、私自身のスクール経験(プログラミング、英語)について書いてみたいと思います。
プログラミングに関しては、学校に通ったことはないです。一方で、英語(通訳案内士)に関しては学校(複数)に数年間通いました。以下、それぞれの学習記録になります。
私は14歳のときからプログラミングを始めました。3か月でベーシックを学んで、次の3年でアセンブラを学びました。
学校に通わなかったのは、お金がないこともあるのですが、「十分な学習時間が確保できた」と「向いていた」ということが大きいです。大学に入る前にほぼ毎日2,3時間ずつ4年以上学びました。
自己学習ということは、本を読むことになりますが、私が本に書いてあることがまぁまぁ理解できました。もちろんですが、一回読んでもわからないこともあり何回も読んで「どうなっていんだ!」と考えたこともありますが、突き詰めると、本に書いてあることが分かったという経験は、独学を行う上で重要です。
本の良さの一つですが、「一定のクオリティが期待できる。」というのがあります。本という一定の分量の文章を書くというのは結構大変です。ネットに「つぶやかれた」ような文章とは質については一線を画しています。さらに著者一人が書いているだけでなく編集者のチェックが入ります。チェック自体は最低限ですが、「書きっぱなし」の文章とは異なります。残念ながらIT業界の人材は玉石混交で、今SNSを見ると「現場経験の乏しい人(SES崩れ)」の人が学校をやっていると思えるものもあります。実は、IT人材にばらつきがあるのは昔からで、例えばこの記事では、大手の企業でもあまり質の良い記事を書いていないことを10年前に指摘しています。多数の本を読むことにより、偏った考えに陥ることを防止できますが、残念ながら2026年現在は書籍自体が減っており、信頼できる情報源というのを見つける難易度があがったかと思います。。
ちなみに脱線しますが、私はもともと国語力がなかったのですが、技術文書の読書をとおして読解力が付いたのも大きいです。そういう意味でも「独学の利点」をあげられます。
私は現役の時は大学を途中で辞めたのですが、35年ほど前の当時、既に大学には情報系のコースがあったかと記憶しています。しかしながら大学でプログラミングをマスターして就職するというコースはあまり一般的ではありませんでした。むしろ大学を辞めた人がプログラマーとして就職するというのは日本では割とポピュラーでした。一方で、アメリカで就職しようとすると”コンピューターサイエンスの学位または同等の資格”というが必須なようです。
学校には通いませんでしたが資格はとりました。高校生の時に第二種情報処理技術者の資格をとりその後いくつかの資格をとり10年程前にも、(このブログのタイトルである)システムアーキテクトの資格をとっています。
英語については、私の実力は壊滅的でした。本を読んでも「で?」としか分かりません。文法書を読んでも良く分からず、改めて振り返ると「英語については向いていなかった」ということが言えます。特に厄介なことは、英文を読むと10分ほどで脳が限界を感じます。コンピューターの本なら何時間でも読めるのですが、英文となると体が拒否反応を起こします。これではダメということで学校に通い出しました。足掛け10年以上、学校に通いました。ただ、週1回で学校に通うだけでは、一向にしゃべれるようになりませんでした。学校はあくまでも学習の習慣づけが基本になります。英語勉強の基本的な考え方(反復練習が大事、文法より文脈)については学校で習いました。
加えて、語学留学も行いました。2026年現在、英語の学校に通うことについては賛否があるでしょうが、語学留学や大学への留学に関してはお勧めいたします。言葉というのはなるべく大勢の人とやり取りをする方が、つまり数をこなした方が上達するかと思います。
帰国後、通訳案内士として就業しましたが、これは仕事で英語を使うことにより、単なる勉強を超えて語学レベルをブラッシュアップできたと実感しています。
向いている向いていないに関係なく、一定技術を習得するには「質より量」という側面があります。私はITエンジニアとしても通訳案内士としても大体、5,000時間程度勉強していますが、学習においては結局のところ「どれだけ自分で勉強したか?」が重要になります。学校に行くということはあまり勉強時間とは関係がありません。最終的にはどれだけ自己学習をしたかが大きいようです。勉強時間は個人差はあるかと思いますが、5,000時間を目安として頑張れば、学習前とは違う景色がみられるかと思います。
伝統芸術や伝統工芸でよく「師匠から教えてもらえない」ということがありますが、これについては今なら良く分かります。技術は教えてもらうものではなく、自分で学ぶものだということです。
印象深いことがありまして、とあるITの炎上プロジェクトの助っ人をやっておったときのことです。担当者に対して色々説明を行っていたのですが、彼は相槌をうつだけで、一向に私の説明を理解していませんでした。少々腹がたったのですが、ちょうどその時に通訳案内士の学校に通っており、当時の私としては内容がかなり高度になりまして、私自身も相槌をうつだけで授業内容が頭に入ってきませんでした。「向いていないということはこういうことか」と当時は実感したものです。
向いている向いていないは学習の進み具合に関係しますし、プロとして活動するようになってからも差が出てきますが、「向いている=プロとして優秀」というのは少し違うかと思います。私も炎上プロジェクトの当事者になって挫折も味わいましたし、プログラマとしては向いているかもしれませんが、企画やスケジュールを立てることは苦手(向いていない)です。画面のデザインも不得意です。結局、細かく検証していくと「業務に関して全方位的に向いている」という人は現実としていないのではないかと思います。ITエンジニアとしても長所・短所があり通訳案内士としても長所・短所があることになります。
英語については向いていませんし、今でも「向いていない」と時々感じることですが、こちらも仕事をする上ではあくまでも一要素ということになります。「通訳案内士」は外国語で話をするのはそうなのですが、特に英語の場合、「ネイティブのように」というのは場合によりけりで、イギリス英語なのか、アメリカ英語なのか、西なのか、東なのか、非英語圏の人なのか、と様々あり、よく言われる「ネイティブ信仰」というのは必ずしも当てはまりません。(もっとも私はアメリカの西海岸に留学したのでカルフォルニアあたりから来た人は「うまいね」と確かに言われ、フランスからの人は「?」といわれます)。通訳案内士というのは実際にお客さんと同行して案内するのでいわゆる旅程管理という業務もになっており、さらにはお客さんは「日本人の意見が聞きたい」とか「日本のドラッグストアに行きたい」とかいろいろな要望に応える等、複合的な職業ということもあります。こちらも「英語の向き不向き」だけでは実力は測れないかと思います。ということで翻訳や通訳はともかく通訳案内士については、しばらくはAIにとって代わられないと思っています。
メンターについてですが、英会話の先生については、あくまでも先生ということでそれ以上何かきくことはありませんでした。通訳案内士の学校の先生についてはある程度、メンターの役割もあったかもしれませんが、生徒が複数おり、あくまでも授業を聞くというところ以上のものはありませんでした。いずれの先生も感謝はしているのですが、メンターとまではいきませんでした。
一方で、ITエンジニアとしても通訳案内士としても仕事をやりだしてからは、数名ほど尊敬できる先輩(メンター)がいたのは事実です。が、残念ながら不徳の致すところで深い付き合いとはなりませんでした。もっともITエンジニアとしても通訳案内士としても自立した専門家になるということはメンターからは卒業という意識もありました。
せっかくなので、プログラミング学習と英語学習の違いについても触れたいと思います。一番大きな違いは、「プログラミング学習は主に考えること」であるのに対して「英語学習はとにかく量(習うより慣れろ)」につきます。
もちろん、どちらにしても「授業を受ける。先生の話を聞く」ということを否定はしませんが、プログラミングの場合、ある意味芸術家のように「あーでもない、こーでもない」と悩むこと自体がプログラマとしての基礎練習になります。私としては「オブジェクト指向おじさん?」の記事は、単に記事を読んで納得するのもいいし、異論や反論をする。つまり記事を読んで考える行為そのものが、エンジニアの成長のきっかけになると思います。
一方で、英語の場合、考えるより鵜呑みにしてもよいので覚える行為が重要かと思います。実は、「自動詞と他動詞を考え直す(Part2)、日本人にとっての自動詞と他動詞の恐ろしさ」この記事自体は読み物としては面白いかと思いますが、「英語学習」にフォーカスを当てるとあまり意味がないです。おそらく英語の上級者はこの記事を読んで「で?」と思うと思います。この記事でも指摘しているとおりネイティブでも間違う(というか辞書どおりでない)というのは、日本人が日本語を話すときに細かい理屈を知らないことと似ています。「では何でこんなことを考えるのか?」ということですが、こういう理解というのは一種の精神安定剤的に作用します。つまり、「なんで自分ができないのか?自分が勘違いをしているのではないか?」という不安を解消するために使うと有効かと思います。直接的な学習効果はないが一種のサプリメントということができます。
あけましておめでとうございます。
昨年末から、AIによる文書作成が私の中で成立するようになり、すっかり YouTube がご無沙汰になったのですが、YouTube はそのうちやるということで、続けます。
文書作成におけるAIの使い方ですが、
・論点整理
・モチベーションの維持
・評価(批判)
が受けられるところですが、当然、AIの意見を真に受けるはずもなく、そこはそこで多角的に分析をしています。
具体的なプロンプト等は、「企業秘密」ということで出すのは控えます(このあたりのノウハウについては公開するとAIがそれを取り込み面倒なことになりかねないので秘密としておきます)、が、やっていることは、様々なプロンプトで回答を引き出したり、今は、ChatGPT, Gemini, Grokを使って評価させたりしています。
もちろんですが、文責については私が担うようにしており、最終的な内容の確認はしておるところです。
で、前回(AI時代のプログラミングスクールとの付き合い方)の記事の批判で、「優良なプログラミングスクール(メンター)の存在について触れていない」という指摘を受けて記事を書いてみます。
まず、プログラミングについて『メンターが必要か?』というと、私自身は『必要な人もいるかもしれないが、一般論として必須ではなく、もしプログラミングスクールがメンターの存在だけを前面に押し出しているのであれば、注意が必要』だと思います。
メンターが必要というのは2000年代から言われたように思いますが、このメンターですが、プログラミング技術の習得に限っていうと、疑問が残ります。
技術者として改めて思うのですが、プログラマなり(通訳案内士)なりのある種の専門家は、その専門領域に関して「メンター」という存在は不要なのではないか?という考えです。
これはある種の「師弟関係」の否定ととられる恐れがあるのですが、「師弟関係」をむしろ肯定するからこそ、プログラミングスクールのいう「メンター」の存在に違和感があります。
本来、師匠というのは単なるプログラミング技術を教えるのではなく、「プログラマ」として一人前になるうえでの先生にあたるかと思います。
プログラミングを学ぼうという人に対しての「プログラミングが出来るようになる」というのは単なる知識だけではなく、「自立したエンジニア」として活動できるようにする必要があります。
この場合、単なる技術的なアドバイスだけでなく、プログラマとしての職業倫理や技術的な哲学について指針となるような人が「師匠(メンター)」という存在になりえると思います。
少なくとも、私自身の知る限りでは、そのような人は日本にはほとんどいないでしょう。というのが長年の私のエンジニアとしての経験からくる結果になります。
もちろん、『スーパークリエーター』とか検索すれば出てくると思いますが、スーパークリエーターが職業人として成功しているか?という疑問もあれば職業倫理や技術的な哲学等、師匠(メンター)たる器を持っているかは未知数です。
従来のプログラマがおかれた環境(困難にぶち当たっても自助努力のみを押し付けられ孤独になる)からの脱却を図るためのメンターというのは理解できなくもないですが、プログラミングスクールがそのようなことを全面に押し出されても、「本当にメンターが必要なときは、実際に会社や現場に入ったときであり」、プログラミングスクールの講師がそこまで面倒を見るのは金銭的にも(講師の)技術的にも怪しいものです。
もちろんですが、学習者が学習において孤独を感じ、メンターが必要ということでプログラミングスクールの門をたたくことを否定はしません。
先輩やメンターに助言を乞うことは否定しませんが、本来、プロとして活動するということは、技術面では先輩やメンターから独立して「孤独」の中でプログラミングを行うことになります。そこには、プログラミングスクールのメンターの存在というのは私にはなじみません。
まとめますと、
・期待されるメンターの役割を持った人間がそもそもいないかいたとしても希少
・メンターとは本来、技術だけでなく、職業倫理や哲学といったことも持ち合わせてないとダメ、スクールというより組織で必要
・もしあなたが、「この人から教えを乞いたい」と思えばそれはそれでよい
ということが言えます。
この記事は、『50代半ばのじいさんが、AIを目の当たりにした『大学に入ってから自分の無力感がエグい』という大学生にかけることば』と『AI時代のコードレビューは“理解”ではなく“責任”を見る』との続編になります。
AI時代に入り、私も当然ですが、『遅れないようにしよう』と思いながらも日々精進しているのですが、
『AIで書いたコードを、
細部まで理解できていないままコードレビューに出すのは、
職場でも最も信用を落とす行為なので、気をつけましょう笑』
この発言ですが、要はプログラミングスクールをやっている方の発言でした。これは今流行しているSNSのマーケティングで、愚かにも私はプログラミングスクールの広告にマジレスをしたということになります。ということで、文章はそのまま残しますが、投稿へのリンクは外します。これは『宣伝を拡散しない』ということもあるのですが、これから「プログラミングスクールではなくAIから学べ!」という話をするので、営業妨害をする意図ではないことを明確にするためということもあります。
プログラミングスクールは最近特に、雨後の筍のごとく出ており、SNSを使って素人から高額な授業料をもらっているようです。そういった中には『35歳からのSESについて考える』でコメントしている通り『IT業界の実態を良く知らない人達をとりあえずSES(ITエンジニアの派遣)に放り込んで搾取する』という実態があります。これらの運営者は
スクール → SES
というルートを確立しており、粗製乱造で商品(エンジニア)を作り会社へ送り込むという、エンジニアをモノ扱いして商売を行っており、IT業界への入り方としては注意が必要(あまりお勧めできない)です。ちなみに、上記のSNS発言の会社が、このようなことをやっているかどうかは解らないということは改めて付け加えておきます。
ちなみに、私ですが、高校生相手のプログラミングスクールをやろうかと考えておりました。それなりにリサーチを行い、「情報の教科書」を購入したり、大学入学共通テストを受けたりしました。点数ですが、70点ほどでした。意外に低いと思われるかと思います。私は高三の時に第二種情報処理技術者試験に合格しており大学にはいるとアルバイトでプログラムを組んでいましたのでこの点数には一瞬納得できませんでした(ちなみにサンプル問題を解いたときは90点台だったので油断していたというのもあります)。
改めてこういう試験を、自身が受けてみると、ある種の試験の目的と限界が解りました。私は受験が苦手だったのですが、やはりそこは実践と異なるようです。これだけだとただの愚痴になるので、補足しておきますと、細かい用語の定義を問う問題については、プロが見れば「知らんわ」とか「知る必要があるか?」というのがありそこはわざわざ勉強しなくてもと思うのですが、学生諸君はきちんと勉強する必要があるでしょう(テストなので)。
話は脱線しますが、ついでに英語も受けました70点ほどでした。こちらも意外に低いと思われるかと思いますが、大学入学共通テストの英語で70点以上をとれるのなら、ほぼ間違いなく英語を使って仕事ができるかと思います。ただし、文章は全部読んだ上で回答するのとリスニングは相手の言うことを分かった上で回答する、という条件がつきます。巷には大学入学共通テストのテクニックが存在しますが、それを使って高得点を取っても生きた英語ができるかどうかは怪しいです。なので、将来英語の仕事に付こうかという人は「全部を読んだ上で回答する」というスタイルでやった方がより実力が付く(将来困らない)というか、そのようなやり方で満点やそれに近い点数をとる学生もいるとも思えます。もっとも少しでもいい大学に行くのなら、テクニックも必要なことは言うまでもないです(まぁ人生が掛かっているので)。
話を戻しますと、ここまでリサーチをしたのですが、今はプログラミングスクールをやることは中止しています。
なぜかというと、先に書いたように情報テストの実用性についての疑問(とそれを教えなければならないある種の苦痛)もあるのですが、
2025年現在、本人にやる気があればプログラミングスクールに通わなくても、「AIに聞けば」色々教えてくれるようになった。
というのが大きいです。
最近ですと私の場合は、
ScratchとRustの言語のチュートリアル、llama.cppのコードの読み方(およびLLMの考え方)についてChatGPTに聞いて勉強しています。
llama.cppというのはローカルAI(LLM)の実行ツールで、つまり自宅のマシンでChatGPTのようなAIサーバーを立てられるものになります。その内部構造について知りたいとき、昔ならコードを手当たり次第に読んでいたのを、今ならChatGPTに『C++は解るのでポイントを教えてくれ』と言ったらそれなりの指針を返してくれます。
https://chatgpt.com/share/69537291-28d4-8006-97c9-a832786fbd92
一往復だけのやり取りを載せていますが、かなり整理されたものが出てきています。
プログラミング初心者の方は上の文章を読んでもわからないかと思いますが、初心者の方は『私はプログラミングの初心者でまったく一から勉強したいのですが、どうすればよいでしょうか?』とすれば、ChatGPTは上手に相手をしてくれます。
https://chatgpt.com/share/69537347-092c-8006-843d-e774b22972fb
ここで、重要なのは返された言葉の意味が解らなければ質問すれば良いです。例えば、「C/C++やJava」が解らなければ「C/C++やJavaとは何ですか?」とか「言語とはなんですか?」と聞けば回答を出してくれます。
「ChatGPTのような生成AIが教師の代わりになれるのか?」という疑問が沸くかと思いますが、少なくとも私はChatGPTとのやり取りで「プログラミングスクールはやめておこう」と思うようになりました。それほど信頼性が高く、初心者が高額なお金を出してスクールに行く価値があるのか疑問に思うほどです。少なくとも、私はお金を取れるとは思えません。
もちろん注意事項もあります。ChatGPTやGeminiが信頼できるというのは『ネット上に溢れている情報で、特に初心者に対しての情報は、多くのチュートリアルがあるのでAIはそれを模倣している」ということが言えますが、あまり一般的でないことや初心者あるあるでない、ややこしい質問をされると、AIも混乱するでしょう。そして一度混乱したAIを元に戻すのは、初心者だけでなく中級、上級者にとっても難しいかと思います。(この場合の有効な手段は、最初からやり直しになりますが、今までのやり取りが消えてしまうので、それはそれで面倒です)。
AIは『人間に寄り添いすぎる面』があります。本来行うべき「厳しい意見」というのを避ける傾向にあります。AIとの距離感の作り方はあらゆることに言えますが、一つの共通課題かと思います。
そうはいっても、プログラミングというのは最終的に、コンピューターで動くものを作るという行為になります。つまり「動くものができるかどうか」ということで検証可能です。AIが間違っていたとしても、動かないことで間違っていることが分かります。そこで、「これ動かないんだけど」とAIに聞けばよいです。場合によっては、何度質問しても、一向にバグが直らないことがありますが、その場合は、仕切り直しをしたり、違う課題をやってみる、掲示板で聞く、自分で考えてみる、などをやってみることになるでしょう。
このやり方の最大の長所になるのですが、このようなプログラミング学習が、そのまま「バイブコーディング(AIによるコード生成)」に移行できるというところです。特に、AIへの「動かない」というフィードバックはそのままバイブコーディング時代のデバッグに通じます。
ちなみに、ネットでは「バイブコーディングで爆速開発!」とかありますが、私自体は現時点ではバイブコーディングに懐疑的です。プログラミングに限った話ではないですが、実際にAIが混乱する様子を観測していると現段階でのバイブコーディングについてはまだ様子見を行っています。また私は独自のプログラミング言語を開発している関係でバイブコーディングを行うことができないということもあります。
もっとも、まったくやらないわけにはいかないので、ブログネタでやるほか、Youtube上ではバイブコーディングを行っている様子がアップされていますので良く見ています。
すこし話を戻しますと、よく言われるプログラミング初学者に対しての質問で「作りたいものをはっきりさせる」というものがあります。つまり目標を持ってプログラミングすると覚えが速いということです。これ自体は否定はしませんが、私自身は「コンピュータが好きだからプログラミングの勉強をした」ということになります。先ほどのChatGPTとの対話では、「何のためにプログラミングを学ぶか」について、ChatGPTは画一的な動機ではなく、様々な動機を提案しています。これはこれで教師としてはある意味人間を超えているとも言えます。人間の場合、どうしても個人の考え(哲学)が入ってしまいます。プログラミングスクールで学ぶ場合、学習者は講師の個人的な考え(哲学)に影響されます。ただしこの哲学は強制されるものではなく、あなた自身が自主的に追及するものになるかと思います。
私の場合は「コンピュータが好きで仕組みを理解したい」ということでしたが、このやり取りを掲載しておきます。
https://chatgpt.com/share/69550def-2290-8006-a2c5-3f4d560915f6
以上、最近はAIによる自己学習も大分よくなったかなと実感しています。もちろんですが、AIによる自己学習でも壁にぶち当たることがあります。AI相手や掲示板なども使ったが上手くいかず、どうしてもプログラミングをやってみたいという場合は、プログラミングスクールに行くことも有効な手段だと思います。独学vsスクールという二者択一ではなく、プログラミングをマスターするという目的に対して、どういう手段をとるか?という選択でしかないです。
「優良なプログラミングスクールにおけるメンターの存在について触れられていない」という指摘を受けて、Part2として記事をまとめました。
実に8年ぶりの記事になるのですが、「自動詞と他動詞を考え直す」の続きになります。
ちなみに、この記事は『AIとの共作』になります。文章は私のものですが、特に『I bought yesterday』が持つ感覚について『どう説明しようか?』と思って放置していたのですが、AIの校正により明確な文章にできました。
Part1の記事では、私は『文法上、自動詞と他動詞を区別する意味はあまりない』と言っていますが、これは少し危険で、なぜ一部のネイティブが「I wish」に違和感を持つか?(wishは他動詞)という話になります。例えば、
主語 動詞
という文があった場合、日本人は『文章として成立している』と思いがちですが、ネイティブはどうも『目的語はどうなっている?』と無意識に考えているようです。そして、日本人にとっては(よくわからん理由で)
I go.
は文として成立し
I wish
は、文法的な正しさはおいておいて、文として成立しない。つまり、目的語として、何を望んでいるのか?が明確でないということになります。
ここまででしたら前回の記事の焼き直しになるのですが、日本人にとっての目的語の扱いの難しさは以下の文の解釈になります。
This is the book I bought yesterday.
ここの the も良く議論になるのですが、それは置いておいて、問題はここでの bought(buyの過去形)は『自動詞なのか?他動詞なのか?』になります。
そして見た目の形
I bought yesterday
とは裏腹にここでのboughtは他動詞になります。
上記の文章は、学校では、『関係代名詞』として習います。つまり、
This is the book. I bought it yesterday.
↓
This is the book. I bought that yesterday.
↓
This is the book that I bought yesterday.
↓
This is the book I bought yesterday.
という流れで解釈しがちですが、そもそもネイティブにとっては、上記のようなややこしい変換をしておらず、
I bought yesterday
は、何を買ったか省略されている。不完全な文であり、I bought what yesterday という感覚になっているようです。
さて、さらにややこしいのは、
I bought yesterday.
は完全な文でもあり、この意味では『昨日買い物したことを言いたい』ということで通用するようです。
まったくもって困った話で、I bought yesterdayは文として成立することもあれば、そうでないこともあることになりますが、ここで重要なのは、bought を自動詞か他動詞かに分類した上で文章を解釈することではなく、「目的語を要求する感覚が文脈によって立ち上がったり消えたりする」という点です。
これが、私にとっての英語学習の最大の壁でした。ここではあえてピリオドの有無で区別していますが、I bought yesterdayは、目的語が省略されている(文章の修飾を行っている)場合もあれば、単に目的語の無い文として使う場合もあり、ネイティブは感覚的に使い分けを行っているようです。
(当然ですが、個人個人によって感覚は微妙に異なることになります。特に重箱の隅をつつくような話になるとPart1で言ったように『I wishは自動詞でも使われる』という反論が成立したりします。)
つまり、このあたりの解釈は、文脈(つまり他の文等の関係)だったり、動詞の使われ方だったりするのですが、明確に決まっているわけではなくある種の集合知として整理されているわけです。つまり言語がもつある種の不合理(使っている人には当たり前なのだが説明ができない部分)を如実に表していることになります。
自然言語というのは慣習的に覚える側面があり日本語の場合”は”と”が”の使い分けだったり、数を数えるのに、「いっぽん」、「にほん」、「さんぼん」と「ぽ」、「ほ」、「ぼ」の使い分けの理屈だったりするのですが、これらは明確な基準がなく(数で勝負)のところがあります。
最近のLLMで翻訳ができるようになったのは『個々の単語の分類』だけにとどまらずに『膨大な文脈からの言語の再構成』が自然言語学習の王道ということを示唆しています。
ここで、冒頭の話に戻るのですが、『文法上、自動詞と他動詞を区別する意味はあまりない』といったのは実は『文脈や伝えたい意図によって、動詞は目的語を伴うか伴わないか分かれたり、自動詞のみで使ったり、他動詞のみで使ったりする。重要なのは分類ではなく文脈を読み取って適切に構文を読み取る能力。』ということが言えます。