世の中猫も杓子もAIで、「AIで○○しました」という記事が見受けられるが、最近ではさらにAIで生成した文章と思われるがそれを隠してしれっと記事にしているものも見かけるようになりました。
ちなみに、私のブログの場合は、どこまでAIが関与したかを、『この文章は、ChatGPTとの共同作業により作られています。』等と文末に書くようにしています。
もちろん、ある程度の文章を生成させようとすればそれなりのプロンプトが必要なのでそのオリジナリティはあるだろうが、AIに丸投げしたような文章はそのうち飽きられるかと思います。
私の場合、最近はAIが生成したと思われる動画を見ないようになった。生成AIが出だした当初はそのクオリティに驚かされたが、ある時からAIで作ったかどうかがなんとなくわかるようになり、違和感が許容できないようになった。もちろんこれはあくまでも主観になるが、ある意味人間の学習能力も捨てたものではないなと感心した次第です。
で、自分でAIと共同で記事を書くようになると他のWEB記事を読んだときに「これはChatGPTだ」と分かるようになってしまった。やはりそういう記事は読まなくなる。
だからと言ってAIを否定することもないしAIを使って記事を書くこと自体はよいが、例えば単なる情報ではなく、個人主観や主張を持った記事に関してはAIを使ったどうかを書いてもらった方が読み手に対してある程度安心感を与えるのではないでしょうか?
――誤解と判断力の欠如が生む構造的リスク
日本のIT産業が遅れている理由は、単なる技術力の差ではない。
現場での「判断力」を軽視する文化が、構造的な停滞を生んでいる。
経営が「最短の正解」を求めると、エンジニアは思考よりも指示の再現を優先するようになる。
結果として、「仕様通りに作る」ことが評価され、「正しく判断する」力が失われていく。
この文化は、プロジェクトを一見スムーズに見せるが、問題の根を放置したまま進むため、後工程で破綻を生む。
残念ながら「仕様書」は常に正しいとは限らず、完璧でもない。
判断できないエンジニアは、間違った仕様に基づいてシステムを構築してしまうし、完璧でない仕様書を前にすると、手を止めてしまう。
判断を封じた組織は、問題が発生しても修正できない。
それが、「失敗を繰り返す日本のIT構造」である。
数年前、ネット上で「staticおじさん」という呼称が生まれた。
あるエンジニアが「オブジェクト指向を使わない」という判断をしたことをきっかけに、
SNS上で「オブジェクト指向を理解できない老害エンジニア」として揶揄されたのである。
しかし実際の現場では、この「老害エンジニア」と呼ばれた人々こそ、
長年にわたりシステムを安定的に稼働させ、数多くのプロジェクトを支えてきた主力層であった。
だが、ネット記事や勉強会での誤解や簡略化が進むうちに、
「古い技術者=悪」とする物語が独り歩きしてしまった。
SNSや勉強会では、非エンジニアもこの議論に参加し、
「正しい技術の形」を安易に語る空気が生まれた。
それが、現場での健全な議論をも蝕んでいったのである。
SES(システムエンジニアリングサービス)は、短期的には人員不足を補う仕組みとして機能している。
しかし、即戦力を求めすぎるあまり、エンジニアの自由な思考や技術習得の時間を奪ってしまう。
2025年現在、こうした安易な人材育成を政府が後押ししている面がある。
「デジタル人材育成のための『実践の場』開拓モデル事業」は、その典型だ。
本来は人材育成を目的とした制度であるが、現実にはSES構造の延命に利用され、
短期育成・早期投入による「粗製乱造」が進んでいる。
十分な学習機会がなくSESで派遣されたエンジニアは、正常な判断ができず、
SNS上の誤った知識の伝搬や、固定化された正解主義の文化にさらに晒される。
その結果、プロジェクトの現場では、思考を止めた「作業者」が増えていく。
非エンジニアを安易に開発現場へ入れると、判断の混乱が起こる。
プロジェクトマネージャが優秀であれば協働は可能だが、
実際には「プロのマネージャ」はエンジニア以上に希少である。
経営者に問われるのは、「どんな人を雇うか」だけではなく、
「どんな判断を許す文化を作るか」である。
判断力を育てるには、失敗を許容する余白と、考える時間を保障しなければならない。
その余白を「余分なコスト」と見なす企業に、技術は根付かない。
例えば、「オブジェクト指向を使わない選択」や「既存の非オブジェクト指向資産を活かす判断」は、
適切な判断を行っている可能性が高い。
もちろん「オブジェクト指向を使う選択=不適切な判断」ではないが、
その欠点を理解している必要がある。
炎上プロジェクトは、「エンジニア」と「非エンジニア」を見分ける格好の機会である。
普段から技術論を声高に語る自称エンジニアが、炎上した途端に理由をつけて逃げることがある。
一方で、普段は口数の少ないエンジニアが、現場を立て直すことがある。
「プロジェクトに責任をとれる人がエンジニア」であり、
「正しい判断ができるエンジニア」は、最終的にプロジェクトをゴールへと導く。
経営者としては、このような人物を見分ける「目」が求められる。
技術力の本質は知識の量ではなく、判断の質で決まる。
正解主義が支配する組織では、判断力が失われる。
誤った知識の伝搬と即戦力主義は、経営が気付かないうちに、
組織の判断力を蝕み、日本のITの停滞を再生産している。
経営者がまず行うべきことは、「判断するエンジニア」を育てる環境を整えることだ。
それには、自身が技術に明るくなるか、信頼できるエンジニアやマネージャを確保することも重要である。
それができない限り、日本のデジタル化は、どれほど予算を投じても前に進まない。
AIがコードを書く時代になろうとしている今こそ、
経営者に求められているのは「正解を知る力」ではなく、
「判断できる人材を見抜く力」である。
この文章は、ChatGPTとの共同作業により作られています。
約一か月にわたり続けてきましたが、一通りWindows11 25H2にできました。
2025/11/1 現在(アップデート完了)
Ryzen 9 5950X : 25H2を新規(22H2→23H2→24H2→25H2(破損)、25H2(新規))
Ryzen 9 3950X : 24H2 → 25H2
Core i9-10980XE : 24H2 → 25H2
Core i7-7820X : 24H2 → 25H2
Core i7-6950X : 23H2 → 25H2
Core i7-6850K : 23H2 → 25H2
Core i7-5960X : 23H2 → 25H2
Core i7-4960X : 24H2 → 25H2
Core i7-3970X : 25H2(新規)
Core i7-990X : 24H2 → 25H2
今回は、いわゆるイネーブルメントパッケージを使わないで25H2のISOからアップデートしました。
今のところ、感じている不具合ですが、画面のスケーリングを150%にしているディスプレイでディスプレイ電源OFF→ONの復帰時にスケーリングがおかしくなる(一部のウインドウが100%になる)、たまにデスクトップのアイコンの位置が変わる、がありますが、それ以外は動いているようです。
業務アプリを動かすマシン(Core i7-6850K)のOSもバージョンアップしたのですが、半分ぐらいのアプリで不具合は出ていません。残りの半分はe-taxとかになるのでしばらくは使わないので使うときに不具合があればその時の最新バージョンを再インストールになるかと思います。
これで、Intelの黄金時代(2010年代)のHEDT(初代Core i7から10代目のCore i9)のOSがすべてWindows11になりました。というわけで、Ares-6のOverAllの結果(数字が小さい→性能が高)とともに各マシンのシステム情報を以下に

計測はChrome(バージョン141.0.7390.123)で行っています。Chromeですがバージョンが上がるたびにJavaScriptの性能が上がっているようで、比較を行うにはChromeのバージョンを揃える必要があります。
Ares-6ですが、基本的にシングルスレッド性能の比較になります。マルチスレッドの比較も機会があれば行おうかと思います。値の推移を俯瞰すると順調に性能が上がっていることが分かります。AMDのZEN2、ZEN3も比較の為に結果を出しています。Ares-6ですがややAMDに有利なようです。体感ではCore i7-7820XやCore i9-10980XEですがほぼZEN2のRyzen 9 3950Xと同じパフォーマンスかと思います。